いろいろ想像を働かせて、楽しみます。
直線の道は鉄道の跡
北千住からさらに北へ。荒川を渡り、西新井を目指します。
荒川です。 大河ですが、人工河川です。 言われないと人工河川だと気が付きませんね。
…で、橋を渡ると、西新井駅方向に一直線にのびる道があります。
その道があるのは、ここ。
(この地図は{国土地理院 電子国土Webシステム}を使用しています) |
この道は、元々何だったのか?
明治大正期の地図を見れば、一目瞭然です。
この地図画像は、時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ」((c)谷 謙二)により作成したものです。 この地図画像の元である地図は、国土地理院の地形図(2万5000分の1 草加 大正6年測図 大正8年12月28日発行)です。 |
これは、昔の東武線の跡!
昔といっても、明治大正期。 現在の荒川が完成する前の事なので、相当古いですよ。
そして、その荒川が、東武線を付け替えさせた。
荒川放水路を建設するために、東武線の付け替えが必要だったのです。
そんな旧東武線沿線。綺麗なマンションが並んでいますねぇ。
アリオ西新井とマンション群は工場の跡
こちらは、西新井駅の南にある商店街。関三通り。
緩やかなカーブが気持ちいいです。
こういう仕掛け時計も昭和っぽくて、いいですね。
…けど、昭和の光景の向こうに、平成があるのです。
道の向こうに、大型ショッピングセンターが!
イトーヨーカ堂系列の、アリオ西新井です。
アリオ西新井のそばは、ピカピカのマンションと、中央広場。
何ていうか、西新井といえば西新井大師であり、もっと昭和的な味のある街だと思っていました。 こんなに現代的な風景が広がっていたとは。
大型ショッピングセンター・マンション・広場 のトリプルミックス。まぎれもなく合理性を求める平成現代の風景ですよ。
…では、この西新井ピカピカエリアには、昔、何があったのでしょう?
こちらは現代の航空写真。 左上に見えるのが、ピカピカエリア。
…ちなみに、右側、線路と旧東武線道路に挟まれた三角エリアが空き地になってますが、今はピカピカマンションが並んでいます。 旧東武線沿線の風景で紹介した綺麗なマンションが、この三角エリアに立っているのです。
話を戻し、少し時間を巻き戻してみましょう。
バブル真っ盛りの航空写真です。
ピカピカエリアの所には、建物が細々とあります。
…これ、日清紡の工場です。
工場跡地を再開発してピカピカタウンになったという事。
先ほどの三角地帯も、昔は工場だったようです。
同じ写真をもう1度載せます。
目の前に見える大型ショッピングセンターを頭の中で紡績工場に置き換えてみる… そうすると、過去の西新井の風景が想像できます。
工場で働く人が帰り道に関三通り商店街に日用品を買いにくる様子、とか。
単純に、そういう想像をするのは、面白いと思うのです。 「昔は良かった」じゃなくて。
西新井駅の建物は、地方都市のターミナル駅っぽくて、西新井らしい。と思います。
ちなみに、先ほどの日清紡工場跡地は、昭和初期から紡績工場があったそうです。(当初は別の会社だったそうですが)
ここに紡績工場ができたのも、荒川放水路が完成し、この地域の安全性が高まったおかげ。と考えることもできますね。
荒川は、周りの街にいろいろな影響を与えた。という事ですかねぇ。
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
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