東京物語には、1950年代の東京が、描かれておりました。 その内容をブログに記録しておこうと思った次第であります。 久しぶりの街コラムですね。
当時の東京の規模がよくわかる
東京物語は、尾道に住む老夫婦(周吉・とみ)が上京した子供たちの様子を見に旅行に行く話です。
制作されたのは1953年。 当時の東京の様子が良くわかる内容が、いくつかありました。
まず…
亡き子の妻が先導し、老夫婦とバスに乗って東京観光をするシーンがあります。 その舞台は、丸の内・銀座です。 1950年代のそれは、とにかく、建物の高さが低い! の一言に尽きます。
銀座にあるビルの屋上に登り、子供家族が住んでいる方角を案内するシーンがありますが、ひときわ目立つのが、国会議事堂の屋根! そしてその背後には、うっすらと山も見えます。 当時の東京の規模が、良くわかります。
それから…
子供たちが住んでいる場所は、北千住です。 映画中に堀切駅が登場しますし、おばけ煙突も見えます。 「荒川放水路の土手で遊ぶ孫と老母」という描写もありました。
さて、北千住ですが、それほど都会ではない…と表現されております。 それは子供の家の老夫婦の会話。
とみ「ここは、東京のどのへんでしょう?」
周吉「端のほうよ」
とみ「そうでしょうなぁ。だいぶ自動車で遠いかったですけぇのぉ」
とみ「もっとにぎやかな所かと思うとった」 周吉「ここか?」 とみ「ええ」
周吉「幸一ももっとにぎやかな所に出たいと言うとったけれど、そうもいかんのじゃろ」
北千住は東京の端。 にぎやかな所ではない。 という会話です。
これはその通りで、1950年は、北千住は街だけども、その先の足立区・葛飾区は、まだまだ農村。これらの街が高度経済成長における住居不足の受け皿となり発展するのは、もう少し先の事なのです。
…とはいえ、このセリフのバックにはお囃子の音や鉄道の通行音・警笛も鳴っていますし、建物が立ち並ぶ街の様子を見るに、私は「結構にぎやかで、現代の牛田・京成関屋駅周辺とさほど変わらないじゃないか?」と思いました。
牛田・京成関屋駅周辺の商店街 |
むしろ物流が今ほど大規模集約化してなくて、個人商店がやっていけた時代、この当時のほうが、にぎやかだったかもしれません。 子供の1人は美容院を経営してますが…ああいう美容院は、今はもう、言わずもがな。
ちなみに… 東京観光のシーンで、屋上に登った銀座のビルは、どこなのか? 検索すると、どうも、松屋銀座らしいです。 …ふむふむ。 東京タワーができるのは1958年ですから、その少し前の時代に東京を高所から見物できる場所といえば、松屋銀座だった。 という事ですね。 勉強になります。
東京に夢があった時代
また、先ほどの会話から分かることが、もう1つ。
この作品の子供たちは、自らの意思で、夢を持ち、前向きに上京した事です。
子供が上京するのには2パターンあります。 1つは、東京に夢や憧れを持ち、自らポジティブに上京するパターン。 もう1つは、地域コミュニティにあぶれ、居場所がなく、仕方なく上京するパターン。
東京が江戸時代の江戸だった頃は、長男が家を継ぎ、あぶれた次男三男が江戸に行くという、ネガティブパターンが多くて…そしてその余剰人口は、大火が起きたり、大火が起きたり、また大火が起きたり、大地震が起きたり、永代橋が落ちたりして…削がれていくという、いわば「人口調整装置」「余剰人口の捨て場」としての側面がありました。
でも明治から戦後にかけて、東京は、きらびやかなものとなり、はいからなものとなり… この子供たちのように、ポジティブに上京する人も多かったと思うのです。
…何が言いたいかというと、現代の東京は、その点で江戸時代に逆戻りしているのではないか? という事です。 東京に夢が無い。 できることなら田舎で暮らしたい。 仕事が無いから仕方なく東京に行く。 という、ネガティブ上京。
…まぁ、そりゃそうです。今の時代、地方にいても、欲しい情報はネットで手に入るし、欲しいものだって、ネットで検索してポチッとすれば手に入ります。
それから、街なみだって、はっきりいって、東京も地方も、同じチェーン店が軒を連ねているのです。
遊びの面で、東京と地方はフラットになりました。
だから、東京には夢も憧れもなく、あるのは、仕事と、狂ったような忙しさと、人ごみだけ…と思われても、仕方がありません。
――東京物語を見た事で、いろいろと知り、考えることができました。
そして、東京を知るための手段として「当時の映画を見る」というのもあると、実感。 もちろん、作品として脚色されている場合もあるでしょうから、そこを考慮しながら。ですけどね。
東京物語の率直な感想
本題と外れるけど、せっかくだし、感想も。 …評論できるほど映画が好きなわけではないですから、率直な感想ですよ(^_^;)
あ、ネタバレは無いのでご安心を。
この頃の映画は今のそれよりも、ずっとずっと、低刺激で… 音楽に例えると、アンビエイト(環境音楽)だと思います。 私は、あらすじや見どころをカンニングしながら見ましたが、それ無しだと絶対に飽きて、最後まで見れなかったでしょう。
小津安二郎作品を見るのは初めてでした。 なので、私の感想は「小津安二郎作品は映画のアンビエイトであり、その究極である。それも、日本文化に浸る日本人にとって」です。
日本人は他人との気遣いで生きてます。それが日本文化。 東京物語の家族も、気遣いに気遣いで答えます。 それが日常。 特に、家の長である周吉が口にする気遣いの言葉は「こういう事を言える人がトップに立っていると嬉しいよねぇ」と思える心地よさです。
でも、時に、人間ですから、本音が出ます。 言葉だけではなく、態度にも。
その本音が、作品のアクセントだと思いました。
現代の映画では、作品のアクセントは「ドカーン!!」「バリーン!!」という音と、これでもかという映像エフェクトです。 しかし、東京物語のその部分は、登場人物の「本音」なのですから、なんと低刺激なのでしょうか。
映画に刺激的な非現実性を求めるとしたら、この作品は退屈です。
でも、ポップやロックのような高刺激なものではなく、アンビエイトだと捉えれば、作品を味わいやすいと思います。そして、低刺激なアンビエイトだからこそ、日本人・日本文化を表現する事ができて、味わうことができると思うのです。
外国での評価が高いのは、他人への気遣い、タテマエと本音が、とても日本的に見えるからではないでしょうか。 静かな映像の構図も、浮世絵や能を連想するのかもしれません。
――ちなみに、この映画を「ゆるやかな家族形態の崩壊」と捉える評もありますが、私は、そう思いません。 家族なんて、この頃も、その前も、現代も、未来も、こんなもんじゃない?
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
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