足立区の竹ノ塚も、住宅公団が開発分譲してできた街です。 竹ノ塚を歩けば、戦後の街づくりを実感できます。
住宅公団が開発した竹ノ塚
駅前バスターミナルです。
竹ノ塚は地元の方以外はなじみの薄い街ですが、ちょっとしたターミナル駅であります。 それは、周辺地域に加え、北東にある花畑地区の住民もバスの乗り換えで利用するから。
周りの建物は高層ではなく、また、新しすぎず、古すぎず。
行きかう人の数も、多すぎず、少なすぎず。
何とも、ちょうどいいサイズの街です。
こちらは駅から東にのびる大通り。
…そして、
団地です。 竹ノ塚を知るキーワードです。
竹ノ塚は日本住宅公団によって開発された街なのです。
竹ノ塚から東に延び、元淵江公園を曲がる道路も、計画的に作られたもの。
当時の地図を見ると、それが良くわかります。
この地図画像は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((c)谷 謙二)により作成したものです。 この地図画像の元である地図は、国土地理院の地形図{2万5000分の1 草加 昭和40年改測 昭和42年10月10日発行}です。 |
1961年(昭和36年)1月。 日本住宅公団は竹ノ塚駅東側約100ヘクタール(30万坪 東京ディズニーリゾートと同程度)の農地を区画整理し、1963~65年にかけて、竹ノ塚第1、第2、第3団地、竹ノ塚駅前市街地住宅、のべ2808戸の団地を建設。 さらに区画整理後の新市街地を一般公募で分譲しました。
ご存じかと思いますが、日本住宅公団は、高度経済成長に伴う都市部の住宅不足を補うために作られました。
その頃の足立区は、まだまだ農地が多かったのです。
品川区や目黒区が急速に宅地化したのは関東大震災がきっかけでしたが、足立区は戦後、高度経済成長がきっかけです。
高度経済成長による住宅不足。足立区はその受け皿となり、公団住宅や都営住宅が次々と作られました。
足立区は平坦な土地の上に、一戸建て住宅が立ち並び、時折、ぽつぽつと、団地があります。私はそれが、足立区らしい風景だと思うのです。
そして、足立区の中でも、戦後の街づくりを歩いて実感できる街が、竹ノ塚ではないかと。
戦後の街づくりは公園を整備する
こちらは、メインストリート沿いにある、元淵江公園。
木陰には、ハトが群れてます。
池のほとりには、釣り人が群れてます。
住宅地のそばに、広い公園… 計画的に作られた街だからこそ、良い環境があります。
こちらは、別の公園です。
紅葉が素敵ですねぇ。 (わざわざ日光とかに行く必要は無いんじゃないかと思います)
ここで、街づくりと公園の関係について書きたいと思うのです。
街づくりの方式にもいろいろあり「耕地整理事業」や「土地区画整理事業」などがあります。
耕地整理事業はそもそも農地開発のための制度なので、基本的には、区画を碁盤の目にするだけです。
それに対して、土地区画整理事業は、地域の価値を上げるために、区画整理するだけではなく、道路を広くしたり、公園を作ったりします。
第7公園 |
第3 | 第9 |
以前街歩きした地域だと、世田谷区の芦花公園・千歳台あたりに「希望ヶ丘」と名乗る公園が多数ありましたが、あそこも、土地区画整理事業で区画整理された所でした。
(戦後の街づくりは、住宅地を区画整理する以外にも、工場跡地や鉄道敷地跡に複合施設やマンションをドーーンと建てたり、水害に弱い地域をスーパー堤防にして堤防の上に団地をドーーンと建てたり、いろいろです)
私もまだまだ勉強中なので、勘違いがあったらスミマセン。
竹ノ塚はタイムカプセルが好き!?
元淵江公園にある像。
足立区民憲章が記されていますが、この碑にはもう1つの役割があります。
裏側を見ると…
この碑、タイムカプセルの保管庫のようです。
像の裏に宝物が埋められている…というシチュエーションは、なんだか、ゼルダの伝説みたいで、いいですね。
…で、タイムカプセル、もう1つ発見しました。
公団竹ノ塚第一団地でも発見。
…街歩きしていて、タイムカプセルを見つけるの、初めてです。 初めてなのに、1つの地域に2つ。 これは「竹ノ塚はタイムカプセルが好き」と考えて、いいのではないでしょうか。
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
(参考文献 足立風土記稿)
竹の塚第三団地
返信削除森結花
削除竹の塚第二団地
返信削除高沢里奈
返信削除