2013年4月15日月曜日

神田なんとか町めぐり(2)~いくらなんでも小さすぎ篇~

場所: 日本, 秋葉原駅(東京)
前回に引きつづき、神田なんとか町を紹介したいと思います。神田西福田町、神田東紺屋町、神田佐久間河岸、神田平川町…などなど、秋葉原の町を主に紹介!

住居表示の実施を免れ、歴史ある名前の町とはいえ、あまりに小さいのではないか…という町が、いくつもあります(^_^;)

エリアのリンクを開くと、町の大きさが分かりますが、点線だけなので、ちょっと分かりにくいです。 こちらの地図を使えば、町境が色分けされて、街の大きさが分かりやすいです。
http://www.benricho.org/map_boundary/town.html

神田東松下町 神田富山町

(神田東松下町のエリア)http://goo.gl/maps/5nuV8
(神田富山町のエリア)http://goo.gl/maps/ivH4S
神田東松下町 神田富山町
神田駅から北東に行くと、神田東松下町(かんだひがしまつしたちょう)。その南には、神田富山町(かんだとみやまちょう)があります。

町並みは…オフィスばかりです。ちょっと冷たい感じがします。 前回ピックアップした神田美土代町や神田多町、神田鍛冶町には、もっと飲食店があったと思うのですが… 神田駅周辺にたくさんあるので、十分なのかもしれませんね。

神田紺屋町(かんだこんやちょう)

(エリア)http://goo.gl/maps/s86q7
神田富山町から、どんどん南に行きます。

神田紺屋町 昭和通りの紺屋町交差点

神田紺屋町は、2ブロックあります。ハンバーガーに例えると、2つのパンが神田紺屋町で、肉の部分にあるのが、次に紹介する神田北乗物町です。

町並みは…たいして変わりません。

神田北乗物町(かんだきたのりものちょう)

(エリア)http://goo.gl/maps/2fP9m

神田北乗物町 …の、案内板
左の写真、何とも寂しげな写真ですが… 「町というのはそもそも丁であり即ち道である」という話を聞いていたので、道の両側に北乗物町の領域がある道が、そもそもの北乗物町なのかと思い、その道を撮影したのです。

それは、過去の事であり、今は、そうとは限らない。 それを証明するかのような写真になってしまいました…。

神田西福田町 神田美倉町

(神田西福田町のエリア)http://goo.gl/maps/ETTxY
(神田美倉町のエリア)http://goo.gl/maps/kc7aA
神田西福田町交差点 神田美倉町(かんだみくらちょう)

神田西福田町(かんだにしふくだちょう)、1ブロックしかありません。

…でも、もっと小さい町、あります。

町の風景は、ここまで紹介した東松下町~北乗物町と、変わらないですね。


神田東紺屋町(かんだひがしこんやちょう)

(エリア)http://goo.gl/maps/b38iA
昭和通りとのY字路付近にあるのが、神田東紺屋町。

…なぜ、わざわざ、紺屋町と東紺屋町で分かれているのか、不思議ですね。

昭和30年頃の地図を見てみると、昭和通りの向かい側にも東紺屋町があるのです。おそらく、住居表示の実施に伴い、昭和通りの東側の東紺屋町は岩本町になり、西側のここだけ残った。という事かと思います。


もう1つトリビアとして…左の写真のビル、神田槇町トライアングルタワーズというそうです。 槇町…? そんな地名、古い地図を遡っても見当たらなのですけど。

神田岩本町(かんだいわもとちょう)

(エリア)http://goo.gl/maps/dCasN
神田岩本町の目安。なか卯神田岩本町店


神田岩本町は、昭和通りの西側、なか卯神田岩本町店あたりから神田川にかけてのエリアです。

昭和通りの東側には、神田と付かない岩本町がありますが、元々は同じ岩本町だったようです。 千代田区誕生時に岩本町は神田岩本町となり、その後、住居表示の実施により、昭和通りの西側のは、周辺の大和町や松枝町を統合して大きくなり、神田と付かない岩本町となった。東側は、神田岩本町として残った。 …と思われます。

神田佐久間河岸(かんださくまがし)

(エリア)http://goo.gl/maps/tSJGG
左側の岸が神田佐久間河岸 右側のみ神田佐久間河岸
神田川を渡り、秋葉原にやってきました。
秋葉原駅の南東、神田川沿いに、細長ーく存在するのが、神田佐久間河岸です。


神田平河町(かんだひらかわちょう)

(エリア)http://goo.gl/maps/qai6p

昭和通りの東側、総武線のガード下あたりを、よ~く見ると、神田平河町は、あります。
ここは本当に小さい町です。いくらなんでも小さすぎます。

神田平河町の7割は写ってるのではないか


神田平河町の地図
練馬区の西大泉町と、どちらが小さいかな…?甲乙つけ難いですね。


神田花岡町(かんだはなおかちょう)

(エリア)http://goo.gl/maps/8DNr5
神田花岡町
神田花岡町はどこかと聞かれたら簡単です。ヨドバシカメラとその前のロータリーが、神田花岡町です。

もう、神田ヨドバシ町でいいんじゃないかと思えますが、秋葉原駅の北側と東側も神田花岡町に含まれるので、ヨドバシ町はやめておいたほうがいいかな(^_^;)

神田相生町(かんだあいおいちょう)

(エリア)http://goo.gl/maps/m1k3p
神田相生町
ロータリーそばにある秋葉原センタープレイスビルと、その裏にある大東ビルの一部分が、神田相生町です。 ここも小さい…。

神田練塀町 神田松永町

(神田練塀町のエリア)http://goo.gl/maps/y5Jo6
(神田松永町のエリア)http://goo.gl/maps/PoyOx

ヨドバシカメラの北にあるのが、最後の紹介となりました、神田練塀町(かんだねりべいちょう)と神田松永町(かんだまつながちょう)です。

神田練塀町


つくばエクスプレスが通る道にあるのが、神田練塀町。昭和通り沿いにあるのが、神田松永町です。


神田松永町
…しかし、神田練塀町は、ちょっと変わった形をしているのです。

神田練塀町、クラゲの触手のように南にのびていて、ヨドバシカメラの区画に達しています。おかげで、ヨドバシカメラに収まるように建っているTSKビルは、神田練塀町です。



住居表示を実施すれば、こんな複雑な事にならずに済むのに…昔からの地名が無くなってしまうので、千代田区は、あえて、住居表示を実施しない地域を残しているのでしょう。

秋葉原電気街のあたりは外神田という地名ですが、外神田も、住居表示実施前には、小さい町がいっぱいあったのです。 例えば、銀座線の末広町駅は、その名残ですね。

でも、昔の地名を残す事は、複雑な町境や番地をそのまま受け入れる事であり、その手間と引き換えなんですよね。 このTSKビルがそれを象徴してる。 そんな気がします。



もう1つ、練塀町&松永町トリビア!

神田練塀町と神田松永町の北隣には、秋葉原という住所が存在します。
千代田区ではなく台東区です。



この台東区秋葉原も、もともとは、練塀町と松永町だったのですよ。

明治時代、練塀町は下谷区(現:台東区)に、松永町は神田区(現:千代田区)に属してしまったせいで、区境が大きく蛇行したのです。
それじゃ不都合だったのでしょう。東京都政がはじまった1943年7月。練塀町と松永町は半分に切られ、練塀町の南半分が神田区に、松永町の北半分が下谷区になりました。
その後、北半分の練塀町と松永町は1964年に合併し秋葉原と改称したのです。


以上、2回にわたりお送りいたしました「神田なんとか町めぐり」でした!
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

参考文献

  • 特別区町名町区総覧 時事通信社
  • 日本歴史地名大系13 東京都の地名 平凡社



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1 件のコメント:

  1. 東紺屋町に住み、千桜小今川中を卒業した数少ない身としてたまたまの記事を見て大変懐かしく思いました。

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