2012年11月1日木曜日

消える!?妙正寺川の謎

場所: 日本, 下落合駅(東京)
不思議だなと思って調べて見れば、いろんな事を知ることができます。

なにが不思議だと思ったかといいますと、妙正寺川(みょうしょうじがわ)が地図上で消えるように見える事です。



妙正寺川の源は、ここ。



…で、川をたどっていくと… あれれ、妙正寺川が、下落合駅付近で、消えちゃう?



どうなっているのでしょう?


さらりと答えを書いてしまいますが


答えは、道の下を川が通ってるからです。新目白通りの下です。



そして、目白区高田、明治通りの高戸橋交差点付近で神田川と合流します。




地図をよく見ると、不自然な川のふくらみがあります。けど、ぱっと見、分かりにくい。なので、妙正寺川が途中で消えたように見える。 というカラクリです。

ほら合流してる


しかしながら、また疑問が出てきます。

1キロぐらい、神田川と妙正寺川が並行して流れてるのが、不自然です。こんなもったいぶった事をせずに、下落合で合流させればいいじゃないか?

落合という地名の意味


これは、洪水対策。昔は下落合で合流させてたけど、よく水が付いた。なので、もっと川幅や深さのある高戸橋交差点付近まで、妙正寺川を延ばした。そういう事です。

そもそもこの付近の「落合」という地名は、川の合流地点を意味する!…て事は、水害に弱い地域だったのか( ゚д゚ )

そんな事も、消える妙正寺川の謎を調べるうちに、知ることができました。

妙正寺川が道の下を通る事も分かって、めでたしめでたし~(^o^)

…と、思いきや。


道の下は妙正寺川ではない



落合地区の洪水対策のため、妙正寺川は新目白通りの下を走り、高戸橋交差点付近まで延伸された。

…というのは、間違い!

東京都建設局のHPで公開されている「荒川水系神田川流域河川整備計画」に、このような記述があるのです。


妙正寺川は東京都杉並区にある妙正寺池を源として、中野区北部を東に流れ、途中、
江古田川を合流し、新宿区下落合一丁目で神田川(高田馬場分水路)に合流する河川
延長 9.7km の一級河川である。  
http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/kasenseibikeikaku/pdf/kandagawahonbun.pdf)(PDF)

神田川の合流地点は下落合一丁目とされています!下落合駅付近です!

なので、正式には、道の下の部分は、妙正寺川ではなく、神田川! つまり、神田川が2本並行して流れていて、妙正寺川は、あくまでも、地図上で見えてる所あたりまで。という事。 新目白通りの下の神田川は、高田馬場分水路という名前。

妙正寺川と神田川と高田馬場分水路



なるほどぉ~。 いろいろ勉強になったぞ!



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9 件のコメント:

  1. ほほう。これで長年の謎の1つが解決しました。偶然辿り着いたブログでしたがありがとうございました!

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  2. 左様ですか.私は,未だ水の流れていない高田馬場分水路と,下落合駅の横で未だ分水路が繋がって居なかった神田川に合流していたのを眺めて居た事が有りました.妙正寺川が西武新宿線の鉄橋(第一妙正寺川橋梁)を潜り神田川に合流する方向に曲がって居ましたが,真っ直ぐの方向により深い深さの溝が掘られて有り,千代久保橋と云う橋が掛かって現在の妙正寺川が下を流れ新たに落合処理場の処理水が流れて居る高田馬場分水路ヘ合流する様に成ると,今迄の川は,段々に埋められて跡が残るだけに成りました.既に謎として話題に出来る事になって居る事に気付きませんでした.周知の事実と思って居ました.豊島区の南長崎で,大江戸線の落合南長崎駅が出来る前に此処に住んでいて,水の流れて居る川で一番近い川が,妙正寺川であったので,支流の江古田川と共によく遊びに行き,川に下りて行った事も有りました.哲学堂公園の上流は,舗装される前は,ヘドロでグチャグチャで,臭かったです.釣り用の胸迄の長靴で入り込みました.源流の公園迄川の中を歩いて行って見ようとしましたが,グチャグチャであった此の頃は,野方迄行くので遅くなり帰る時間が考えた関係で折り返しとして,地上を自転車で行くのとは違ったのを知ったときでした.

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  3. 妙正寺川の新青梅街道に近づく場所で江古田川と合流します新青梅街道が江古田大橋で江古田川を渡る場所です.既に江古田は河底がコンクリートで舗装され中央にどぶ状の溝が有って其の中を水がチョロチョロ流れる川となっているのは今と同じです.此処を河底に下りて下徳田橋迄暗渠の 場所迄数回行きました.コンクリートの河底には,人糞と思われる乾燥した物体が点々と有るのですが,他の子達は,違うよと,気にもせず遊んで居ました.後に,川を調べて,下徳田橋の先にオーバーフローが有り,練馬区内の中新井川と呼ばれる場所は下水道幹線になり,大雨が降るとオーバーフローから生下水の水が流れるのが判り,彼の頃の彼の物体は人糞で間違いないと確信しました.大雨の時に江古田川を見て写真の撮影を行い,江古田川の水が溢れそうな時に川の水が一時的に入れられる北江古田公園に,川の水が入った後は,消毒を終える迄,公園に入っては行けません.の看板も,その事を確信にする事由でした.調査の写真を撮影に降りた時にも,近所の子供達が,川の中に付いて来ました.暗渠の中の撮影をする時に,毒ガスが出て来るかも知れないから,中の方に入ってはいけないと注意しました.此の時の子供達も,成人したかもしれません.私達が,江古田川で遊んだ時は,江古田の森に,未だ国立療養所中野病院があったのでした

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