「それって、自由が丘の…」
…それは問わない事にしましょう。 なぜなら、ここだけではないからです。
(「きぼうがおか」の表記は「希望ヶ丘」「希望が丘」「希望丘」などのパターンがありますが、ここでは、同じものとして扱います)
希望が丘と名のつく施設が点在する、千歳台、船橋、八幡山
サンヒルズ希望ヶ丘 |
ショッピングセンターの名前に、堂々と「希望ヶ丘」と書かれています。
これだけなら、希望が丘は地域の名前とは言えません。
が、これだけじゃないんです。
「希望丘通り」があり…
希望ヶ丘団地 | 希望丘公園 |
「希望ヶ丘団地」 「希望丘公園」 「希望丘小学校」 「船橋希望中学校」
さらに、希望が丘を名のる公園は1つではありません。
希望丘中公園 | 希望丘中公園にあった銅像 |
こちらは希望丘中公園です。さらに「希望丘北公園」「希望丘東公園」「希望丘記念公園」があります。
その地域の地図はこちら。 小田急線千歳船橋駅と京王線八幡山のちょうど間に位置します。 グーグルマップには公園名まで載ってませんでしたので、地図マピオンでごらんください。
http://www.mapion.co.jp/m/35.654445591758915_139.62256909608462_9/
希望が丘という住所があるわけではありません。 千歳台、船橋、八幡山の3つの地域にわたる範囲で、希望が丘と名乗っています。 いったいこれは、どういう事なのでしょうか?
その答えは、希望丘土地区画整理事業
答えは、希望丘記念公園にありました。
(希望が丘記念公園の場所:地図マピオン)
http://www.mapion.co.jp/m/35.65119424129219_139.61747269238666_9/
「記念公園」は、何を記念して造られたのでしょう? それが、謎の答えです。
希望丘土地区画整理事業完成記念碑 |
「希望丘土地区画整理事業」 それが、謎の答えです!
区画整理事業には名前が必要。 1つの町の中であればその名前を使えばいいでしょうけど、ここのように、複数の町にまたがる事業では、新しい町の名前を決めた方が、すっきりしますよね。 なるほど。
記念碑の裏には、事業区域も刻まれていました。
反射して見にくいですが… 区画整理施行前と後が図示されてますね。
希望が丘土地区画整理事業。事業認可されたのは昭和40年(1965年)10月。 完成したのは昭和57年(1982年)
認可される前の希望が丘の様子をgoo古地図で見ると、田畑が多くを占めているのが良く分かります。 環八も通ってません。 烏山川流域も未開発な所が多く、航空写真でも川がはっきり見えます。
その烏山川沿いに、団地、学校、大きい公園をつくり、幹線道路を敷き、いびつな農地を整理し小公園を作り、快適な住環境を作った。 その結果が、今の希望が丘。 希望が丘と名が付く施設が多いのはそのおかげ。 というわけですね。
土地区画整理事業についての詳しくは、国土交通省のサイトをご覧くださいな。
http://www.mlit.go.jp/crd/city/sigaiti/shuhou/kukakuseiri/kukakuseiri01.htm
希望が丘、ここだけじゃない!
残念ながら、先ほどの記念碑には、希望が丘とネーミングした理由までは記されていませんでした。 それが知りたかったのに!
でも、仮に「希望あふれる街になるよう願って」などと記されてても、疑念が無くなるわけじゃないのですけどね(^_^;)
ただし! 世田谷区希望が丘に対して、もっとオリジナリティは無いのかとケチつけるつもりはありません。
なぜならば…
より大きな地図で 日本希望ヶ丘マップ を表示
ここに限った事じゃないから!
「希望が丘」は、一般的な、土地区画整理事業のネーミングなのです! 山田さんや佐藤さんがポピュラーな名字なのと同じように!
さらに、これが全てだという確証はありません。 これらの多くは、住所の町名が希望が丘だったため、検索で見つけやすかったのです。 今回ピックアップした世田谷区希望が丘のように、住所の町名になってない希望が丘が、日本全国に、まだまだあっても不思議じゃないのです!
もっと言えば、区画整理でできたニュータウンの名前だけではなく、学校の名前とか、公園の名前とか、老人ホームの名前とか、それらも調べるとしたら、いったい、日本には、どれだけ、希望が丘があるのか…! 見当もつきません。
その一例、大田区石川台駅そばにある希望ヶ丘商店街 |
別の方向から考えると、これほど日本全国のネーミングに影響を与えた自由が丘って、たいしたもんだと思います。 街のブランドとネーミングのチカラ。
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
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