…何の変哲もない住宅街に、わざわざ足を運ぶ自分も自分だと思いますが… 新中川の記念碑から歴史を学べたり、洲を埋めて新しい施設を造る現代日本行政の営みが垣間見えたり。
それから、小ネタもいくつか見つけられましたので、宜しければ。
中川放水路通水記念碑
中川と新中川の分流地点に、新中川通水記念公園があります。
新中川通水記念公園 |
そこにあったのは、中川放水路通水記念碑。 新中川の事ですね。
記念碑の裏側には、新中川ができるまでのいきさつが、刻まれていました。
中川放水路通水記念碑 |
せっかくなので、内容をおこしてみました。
…とはいえ、一部分からない所もありましたので、そこはご了承を。
中川放水路のあらまし
この地方は昔から高潮や洪水による水害をしばしばうけてきましたので、東京府は昭和十三年に中川 綾瀬川および芝川の三角川総合政?計画をたて 二千四百十九万円の事業費をもって着工しました とくに中川改修事業は足立 葛飾および江戸川の各区と埼玉県の一部にわたる地域の洪水をふせぎ かつその排水と舟運のため着工しましたが 第二次世界大戦のため昭和一九年には工事が中止されて一部の用地買収と一部の護岸工事ができただけでした
しかしこの地方が昭和二十二年九月のカスリーン台風による洪水のため利根川の堤防がこわれて大きな被害をうけましたので ふたたび中川改修工事を再開する声がたかまり 東京都はさきの計画に再検討を加え財政上の理由から 九億九千五百万円の事業費を?つて中川放水路の…を実施する事になり昭和二四年から工事を再開しました この工事中に物価の値上り 用地の買収などといろいろ困難な問題がおきて工事はしだいにおくれ たまたま昭和三十四年の伊勢湾台風による高潮の水位が意外にたかかったことから この事業の一部を変更し事業費…額されて?ましたが ついに昭和三十八年三月十六日第一期工事を完成し通水に成功しました
この放水路は着工以来長い歳月と多額の事業費と多くの人員が投入されて完成… また祖先伝来の土地を提供された地元民の協力と 工事?当の建設業者の尽力とこの事業関係の都職員の努力によってできあがったもので この地方をながく水害から守る事ができるようになりました この放水路の概要は左記の通りですが第二期工事の完成によってその流量はさらにふえることになります
記
一 位置(呑口)葛飾区高砂町地先中川左岸から
(吐口)江戸川区江戸川四丁目地先江戸川右岸まで
一 延長 八○八九メートル
一 計画流量 毎秒一二○トン(第一期計画)
一 巾員 河川敷一四八メートル
一 堤防 高さAPプラス五・二メートル
天端巾 六・○メートル
一 主要建造物 道路橋 一六橋
鉄道橋 二橋
排水所 四箇所
伏越 三箇所
水門 一箇所
一 総工費 五十三億八千百万円
昭和三十八年九月一日建立
この地方は昔から高潮や洪水による水害をしばしばうけてきましたので、東京府は昭和十三年に中川 綾瀬川および芝川の三角川総合政?計画をたて 二千四百十九万円の事業費をもって着工しました とくに中川改修事業は足立 葛飾および江戸川の各区と埼玉県の一部にわたる地域の洪水をふせぎ かつその排水と舟運のため着工しましたが 第二次世界大戦のため昭和一九年には工事が中止されて一部の用地買収と一部の護岸工事ができただけでした
しかしこの地方が昭和二十二年九月のカスリーン台風による洪水のため利根川の堤防がこわれて大きな被害をうけましたので ふたたび中川改修工事を再開する声がたかまり 東京都はさきの計画に再検討を加え財政上の理由から 九億九千五百万円の事業費を?つて中川放水路の…を実施する事になり昭和二四年から工事を再開しました この工事中に物価の値上り 用地の買収などといろいろ困難な問題がおきて工事はしだいにおくれ たまたま昭和三十四年の伊勢湾台風による高潮の水位が意外にたかかったことから この事業の一部を変更し事業費…額されて?ましたが ついに昭和三十八年三月十六日第一期工事を完成し通水に成功しました
この放水路は着工以来長い歳月と多額の事業費と多くの人員が投入されて完成… また祖先伝来の土地を提供された地元民の協力と 工事?当の建設業者の尽力とこの事業関係の都職員の努力によってできあがったもので この地方をながく水害から守る事ができるようになりました この放水路の概要は左記の通りですが第二期工事の完成によってその流量はさらにふえることになります
記
一 位置(呑口)葛飾区高砂町地先中川左岸から
(吐口)江戸川区江戸川四丁目地先江戸川右岸まで
一 延長 八○八九メートル
一 計画流量 毎秒一二○トン(第一期計画)
一 巾員 河川敷一四八メートル
一 堤防 高さAPプラス五・二メートル
天端巾 六・○メートル
一 主要建造物 道路橋 一六橋
鉄道橋 二橋
排水所 四箇所
伏越 三箇所
水門 一箇所
一 総工費 五十三億八千百万円
昭和三十八年九月一日建立
…うーん。文脈が何だかおかしい所もありますね… でも、内容はおおかた分かりました。
聞いたことが無い川の専門用語もありましたが、巾員とは、幅の事で、ここでは川幅の事。天端巾とは、堤防のてっぺんの幅。…との事。 何でも検索できる便利な時代です。
洲を埋め立てて土地を有効活用
先ほどの中川放水路は川を掘ったものですが、こちらは埋め立てたものです。
葛飾区総合スポーツセンターが2つのエリアに分かれて存在します。
北側の施設では、施設の周りに道路が弧を描いているのが特徴的。
立体地図を見ると、2つのスポーツセンターは周りよりも高くなっています。
(この地図は国土地理院の基盤地図情報(数値標高モデル)とカシミール3Dを用いて作成しました。) |
この高い所は、元々、洲だったようで、それが分かると、スポーツセンターの周りの道路は、なるほど、元々堤防だったのかな…と感じる事ができます。
川岸を歩くと、グラウンドとの高低差も丸わかりですし、洲は今も自然の営みで生み出されている事も判明。
この洲が、昔々の葛飾区総合スポーツセンターの姿…
そして今の姿。立派な陸上競技トラックです。 |
葛飾区奥戸周辺の風景
本当に、ありがちな普通の風景が広がってました。
言うなれば、日本全国の都市をミキサーにかけて平均化したらこんな風景になるんだろうなぁ…っていう風景です。
奥戸には小ネタがいっぱいありました
小ネタ1 パッと見、狭い。ミニストップ
こちら、ミニストップ葛飾スポーツセンター前店。
奥行きが狭~い!?
…そのからくりは、
…では、次の小ネタっ!
小ネタ2 奥戸の犬は日本語が読めるらしい
…次っ!
小ネタ3 時代の先端なのかレトロなのか
この自販機、ケータイやICカード、赤外線といったデジタル技術に対応している…けど、ボタンのデザイン…特に、ウサギさんは、レトロだなぁ。と
…では、これが最後!
小ネタ4 ……これは
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
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