お台場は観光地から公園にシフトしている
そういえば最近、お台場に行ってないなぁ… と思い、青海ふ頭の散策も兼ねて、正月の3が日に、お台場を散歩しました。
3が日でも、さすが、お台場。
隠れ田舎者はみんな帰省しているだろうから空いてるだろう…と思ってたら、ちゃんと賑わっていました。
…しかし、それは、ひと昔前までの傾向で、
ユニクロ、H&M、トイザラズ、しまむら、ニトリ、など。
最寄りの大型ショッピングセンターにある商品を買うだけなら、わざわざ、高い運賃を払って海を渡る必要はないわけです。 (ゆりかもめも、りんかい線も、高けぇんだよ!)
わざわざ、お台場まで足を運ぶ動機は、何でしょうか? お台場の魅力と集客力は、どこにあるのでしょうか?
私も、最初は、納得ができなかったのです。 お台場まで行ってユニクロやしまむらやニトリに行く必要性が全く感じられなくて…
通勤中の電車や、お風呂で、もやもや考える事、数日。 なんとか、納得できる理由を構築できました。 あぁ、そうか、そうやって考えればいいんだ…って。
お台場の魅力と集客力。 それは、空。
人は、お台場に、空を見に行くのではないでしょうか。
お台場のビルは、広い敷地にゆったりと建っています。
さらに、ビルの合間にある公園の敷地面積も、都心とは比較にならない広さです。
そして、電線ケーブルは地下化されており、空をさえぎる余計なものはありません。
都心で、お台場ほど、空を感じられる街は、ありません。
都心の中で、空を浴びるほど受け止められる街。 それが、お台場。
広い空に、輝かしい都心の風景も映えます。
例えば、台場砲台跡と(お台場の由来ですね)、レインボーブリッジと、その背景のビル群のコントラストは、美しいです。
…台場砲台というフレーズが出てきたので、お台場の歴史からも、考察してみましょうか。
江戸時代末期に軍事設備として歴史がはじまったお台場は、太平洋戦争後、貯木場として使われた後、未来を象徴する都市へと歩もうとしていました。 しかし、バブルは崩壊。世界都市博覧会も中止に。
バブル景気と崩壊が無く、都市博も(適切な規模で)開催されていたら、今のお台場はどんな風景になっていたでしょうか?
本当は今よりも、もっともっと企業が進出して、ビルが密集した副都心になっている予定だったのでしょう。
広々としたお台場の空は、同時に、バブルの夢が消えた空しさ。 なのかもしれません。
お台場が新都心として歩み始めた頃は、都市博が中止になったとはいえ、観光地としてのイメージが強い所でした。
新交通ゆりかもめという特別な乗り物に乗り、アクアシティお台場、デックス東京、パレットタウン、フジテレビという、そこにしかないスポットに行く。 そんな観光スポットでしたよね。
しかし、今は、少し違うと思うのです。
もちろん観光地の立場も健在ですが、それよりも、公園に近い存在になったと思うのです。
特別なものを見に行く、非日常的な場所ではありません。 普段の生活の中で、休息を求めて訪れる場所です。 つまり、日常の延長にある場所です。
日常の延長と考えると、お台場にまで、どこにでもあるチェーン店が進出している事も、納得できます。
広々とした空のもと、開放的な空間でくつろぎながら、いつものお店で買い物ができる…。 これぞ、日常の幸福でありましょう!
バブルの頃の青写真では、今頃のお台場は、観光地であると同時に副都心になっているはずでした。 しかし今は、行政としては副都心として位置づけられていても、どちらかといえば、公園のような場所になっています。
しかし、21世紀の東京において、今のお台場のほうが、人々のニーズに合っているのではないでしょうか。
そもそも、ビルがうず高くそびえ立ち、その足元で人がうごめく街は、もう十分たくさんあるじゃないですか。
だからこそ、お台場は、お台場にしかない存在なのであり、人が集まる街であり続けているのではないでしょうか。
…ふぅ。
街コラムはちょっと背筋を立てて文章を考えなくちゃいけなくて、ちょっと大変だけど、1つ完成した時の喜びも、他の街歩き記事に比べて、ちょっと大きいので、少しづつでも、がんばって、本数を積み重ねていきたいと思ってます!
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
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