街作りの差は、戦前の耕地整理に遡ります。
区が変われば、区画が変わる
こちらが、その区界付近の地図です。
葛飾区鎌倉の区画と江戸川区北小岩の区画の違いが、お分かりいただけますでしょうか?
葛飾区は、ぐちゃっとしてて、江戸川区は、碁盤の目です。
マピオンの地図なら、区が色分けされているので分かりやすいです。
http://www.mapion.co.jp/m/35.74229183897429_139.88694180719165_8/
区境付近を散歩してみましたよ。
こちらは葛飾区鎌倉。
地図の通り、道がぐにゃぐにゃ曲がっています。
ここは、ズバり、区境です。
反対側を振り返ると…
江戸川区の整理された町並みが見えます。
こちらも江戸川区。 ピシッ!と道が延びてますね~。
この区画の違いのせいで、ちょっと不便な所もあります。
行き止まりです…
手前が葛飾区。行き止まりの先にある住宅は江戸川区。
こちらも葛飾区側からの風景。緑多き歩道です。
このまま歩いて、江戸川区側に出たい… と思いますよね?
ところが、行き止まりなのです…
実は、道の手前に、
親切な住民によると思われる看板がありました。
区画だけじゃない。街作りの違い
区界による街づくりの違い、まだまだありますよ。
例えば、
手前が江戸川区です。 葛飾区に入ると道が細くなります。
逆のパターンもありますよ。
この道は、手前が葛飾区。
江戸川区に入ると…
車道が細くなり、中央分離帯が無くなります。
その代わり歩道が広がります。
奥に商店街が見えます。商店街は葛飾区で、手前は江戸川区です。
千代田商店街 |
商店街の出口です。 ここも区界。
この先は京成小岩駅です。
区が変わると、車道が歩道になったりもします。
この違いは、いつから生まれたのでしょう?
昭和初期の地図を見ると…
昭和初期の鎌倉&北小岩 この地図画像は、時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ」(©谷 謙二)により作成したものです。 この地図画像の元である地図は、国土地理院の地形図[2万5000分の1 船橋(昭和7年要修,昭和7年10月30日発行)]です。 |
江戸川区北小岩は昭和初期に耕地整理を行いました。
それができたのは、人家の差だと思います。 地図を見る限り、北小岩より鎌倉のほうが人家が多い。人が住んでる所は、どうしても区画整理がしにくくなります。
でも、多いとはいえ、基本は田んぼで、今に比べたらずっと住んでる人は少ないのです。区画整理は不可能では無かったのでは。戦前のうちにしておけば…と、思えます。
でも、個人的には、区画整理された町よりも、入り組んだ町のほうが、散歩してて楽しいのですが。
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
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