小竹町は練馬区。向原は板橋区になります。
…いきなりちょっと脱線。 最近ブログで紹介する地域が石神井川周辺に偏っていますが、石神井川周辺ばかり歩いてるわけではありませんでして… 具体的には、代々木上原周辺や神田川流域も歩いたりしてるのですが、うまく記事にまとめきれてないだけであります(^_^;) 代々木上原は写真中心でアップするかもしれないですけど、神田川流域は…分水路を探しにいったんですけど、うまく見つけられなかったうえ、しっかり紹介しているサイトがすでにあったので、ボツという事で。 脱線終わり。
まずはおなじみの高低差
こちらが、小竹向原の地図です。
…ぐちゃっとしてて、有機的な区画。 いやはや、いいですねぇ~(^^)
その理由は、桜台の時と同じく、地面の高低差です。
この近辺の高低差は…
(この地図は国土地理院の基盤地図情報(数値標高モデル)とカシミール3Dを用いて作成しました。)
このようになります。
そして、この高低差があったからこそ、ここ小竹向原で、東京の高度経済成長・都市開発の過程を感じる事ができるのです。
具体的には、高地に一戸建て住宅が立ち並び、低地に団地・企業・学校などが立ち並ぶ過程です。
まず、昔の街並みから。
gooマップで昭和22年と昭和38年の頃の航空写真を見る事ができます。(グーグルマップのようにブログに貼り付けられないのでリンクだけ)
(gooマップ)
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E139.41.13.194N35.44.32.958&ZM=10&W=0
戦後間もない昭和22年の頃、低地には人は住んでいません。 高地も民家は少なく、田畑が目立ちます。しかし、昭和38年には、現在の小竹向原駅北の低地に団地が出現し(すべて完成してないけど)、高地は一戸建て住宅でかなり埋まります。けど、地下鉄小竹向原駅とその上を走る大通りは、まだありません。
戦後の高度経済成長、住宅需要の高まりに応えるために、公営団地が作られましたが、低地が選ばれた理由は、推測するに… 1つは土地の有効活用。もう1つは、水道管理と住宅確保をまとめて行えるという理由もあるのではないでしょうか? 低地は雨水や下水が集まるので、その対策と管理は行政として必要。だったら、低地の水道の上に、水害対策を施した上での団地を作れば効率的ですよね。
そうやって開発された結果、現在の航空写真はこちら。
航空写真でも、団地と一戸建て住宅と企業を見分ける事ができますね。
赤色の所は団地、紫色の所は企業です。それらが低地に集中しているのです。
歩いてみましたよ
まずは、小竹向原駅の北。向原団地から。その名もコーシャハイム向原。いかにも公社というネーミングですね(^_^;)
高度経済成長の頃から存在するとは思えないほど綺麗な団地です。…おそらく建て替えたのでしょう。 団地の北側は更地でしたので、再開発の最中のようです。
けど、更地の北側には、昭和の空気漂う団地商店街がありました。
向原団地 |
そうそう。学校も、低地に作られる事が多いんですよね…
こちらは、向原団地の東にあります向原中学校、谷にすっぽりおさまってます。
次は小竹向原駅のすぐ北、企業エリアを歩いてみました。
goo古地図の昭和38年航空写真を見ると、この企業エリアは、田畑か更地ですね。
小竹向原駅の南にいくと…
ゴルフの打ちっぱなし場がありました。これも低地ならではの建造物でしょうか。
それから…
このような大きい工場も。品川電線さん。手持ちの昭和地図アプリによると、小竹向原の低地に一番乗りしたのがこの工場のようです。
駅前の2つのトンネル
小竹向原は駅前も面白いんですよ。
この大通りを図解すると…
…図解? |
しょぼい図でスミマセン(^_^;)
大通りは低地を通るためにアップダウンしますが、坂はトンネルになっています。トンネルの上には学校があります。道路の下には地下鉄です。
わざわざトンネルを作ったのは、町が分断されないようにするため…という事でもないようで、goo古地図によると、大通りができる前に2つの学校ができてるんです。その学校を避けるためにトンネルにした。あるいは、後にトンネルで大通りを作る事を計画したうえで学校を作った。 という事でしょうか。
このように、街の成り行きを想像するのも、楽しいですね(^^)
オマケ
この看板が作られた時代は、お父さんのケータイで分かりますね。スマホではないものの折りたたみ式。という事は、割と最近のようです。
あと10年経てば「お父さんが持ってるのは何?」と言われるかも?
今日も最後まで読んでくださり、ありがとございました!
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