滝野川には、東京の街づくりを実感できる区画が2つありまして… それを紹介したいと思います。区画整理事業でできた区画と、工場跡地にできた区画。です。
板橋駅南は分かりやすい区画整理事業の地域
埼京線の板橋駅です。
写真が青っぽいのは、真冬なので仕方がない事。
写真の写りは置いといて、板橋駅の観光名所といえば…
いさみちゃんのお墓ですね。
「いさみちゃん」という呼び方をすると、違和感があって、面白いかな…と思った次第です(^^;)
しかし、私がこの街で注目するのは、そこではなく、区画。
メインストリートは綺麗な弧を描き…
桜並木となっております。
開放的な公園もありまして…
こういう区画になっているわけです。
綺麗な弧を描くメインストリート…
2つの公園…
そして、周辺地域よりも道幅が広く格子状に整理された街路…
これは、超~典型的な、土地区画整理事業の街であります。
住宅地図を眺めていて「あ、ここ、区画整理された所だな」と思い、行ってみたわけです。
そして、こういう碑を見つけると「やった!」と思うのです。
区画整理がされた地域には、割と、記念碑があります。
公園か、もしくは、神社の境内に作られる事が多いです。
で、南谷端公園にあるのが、この「谷端復興区画整理竣功記念碑」
碑の裏の説明を読むと「復興」というのは、東京大空襲を指します。
この地図画像は、時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ」((c)谷 謙二)により作成したものです。 この地図画像の元である地図は、国土地理院の地形図{2万5000分の1 東京西部 昭和4年二修 昭和6年6月30日発行}です。 |
この地図は戦前の区画整理前のもの。
谷端川は蓋をされておらず、現在のメインストリートもありません。
おそらく、空襲からの復興という名目で、区界の谷端川の暗渠化を兼ねて事業が行われたのではないでしょうか。
…北谷端公園は工事中でした。
メインではない街路にも並木が植えられております。
こちらは、豊島区との区界、谷端川の道路です。
元は川だった事を知ったうえで、銭湯を見つけると、うれしくなります。
こちらは、市場通り。
見どころは、ちょっと坂になっている点。
手前が谷端川。だから坂になっているというわけ。
板橋駅前の最後の写真は、衝撃的なものです。
…板橋駅前にあった半魚人の像です。
首から下は女性の裸体ですが、顔は魚。
いさみちゃんの墓よりも、こっちのほうが、すごいインパクト。
工場だった敷地には大きな建物が建つ
王子のほうもブラブラしてみました。
このあたりを、ぶらぶら。
ここでは「工場が撤退した跡地には大規模な施設が密集する」という、東京街づくりのセオリーを感じることができます。
…え、そんなの、どうでもいい?
基本的には、細い路地に、商店と住宅が、こまごまと建っています。
しかし、ある所を過ぎると、団地が。
細々とした街が、うってかわって、団地に。
団地の隣には高校もあるのですが…
この区画、昔はいったい、何だったのでしょう?
この地図画像は、時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ」((c)谷 謙二)により作成したものです。 この地図画像の元である地図は、国土地理院の地形図{2万5000分の1 東京西部 昭和4年二修 昭和6年6月30日発行}です。 |
「火工場」と書かれていますね。 …火薬でしょうか?
北区は軍需工場が密集していたので、火薬でも全く不思議ではありません。
とにかく、この工場の跡地に、団地と高校が作られたというわけ。
街づくりのゲームだと、一般住宅をブルドーザーでぶっ壊して、大きな施設を建てますが(リアルな街も好きだけど、街づくりのゲームも好き)、現実は、すでにある個人の建物を壊すのは簡単ではないのは言うまでもありません。 だから工場の跡地ができると、そこには必然的に、別の大きな施設が建つ。
逆に考えると、大きな施設が密集している所は、工場跡地である事が多い。という事です。
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
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