2014年2月19日水曜日

中央区の昔の川(掘割跡)を歩いてみた2

場所: 日本, 東京都中央区銀座4丁目
かつての銀座・築地には水の都と言っても過言ではないほど運河がありました。 その跡をあらためて見てみようと思い、歩いてみた。というわけです。
前回は、築地川・桜川(八丁堀)周辺でしたが、今回は、三十間堀と汐留川と外堀です。

小さくても昭和モダンの薫る水谷橋公園… 閉館した銀座シネパトス… それから、領土問題。



この記事を動画化しました!
youtube
http://youtu.be/vLNlIbrS_Nw

ニコニコ動画
http://www.nicovideo.jp/watch/sm25912929

前回の繰り返しですが…


こちらは、昭和初期の銀座・築地にあった川を地図に書き込んだものです。


昭和初期の川の跡を歩いてみました。

2回の記事に分けて掲載いたします本企画。 前回は築地から築地川や八丁堀の風景を載せましたが、今回は、三十間堀と汐留川と外堀です。

京橋川と三十間堀の交差地点から、反時計回りで数寄屋橋まで、反時計回りで歩きました。


ちなみに、こちらは、明治初期の川の跡。


それでは行ってみましょう。

水谷橋公園は小さな昭和モダン




首都高の東銀座出口。そのわきにある公園が水谷橋公園。

ここは昔、京橋川と三十間堀の交差地点でした。


北方向(京橋方向)を見た風景
「昔」といってもそれは昭和戦前期の事で、明治初期のここは川ではありませんでした。

東京の変化は何も戦後からはじまった事ではない。 江戸時代から常に変化し続けてきた。 という、いい例ですね。


水谷橋公園から南方向を向きました。
目の前の小道とビルが、昔の三十間堀。 という事になります。




…それにしてもこの水谷橋公園。 小さい公園ながら、立派です。

トイレも昭和モダンといった感じですし、12本の電燈には十二支の彫刻があしらわれています。


三十間堀跡と、銀座シネパトス。



この小道と両脇のビルが、昔、川だった。

…と想像しながら南へ歩きます。


三十間堀が埋め立てられたのは戦後まもなく。

その理由は、東京大空襲のがれき処理のため。 堀にがれきを埋めて片づけ、埋め立てた土地を売り、がれき処理費用にあてる。 という方法がとられました。

実に合理的です。


…そして、三十間堀と晴海通りが交わる所にあるのが…

いや、あったのが…


銀座シネパトス。 三原橋地下街。


実は閉館する前に銀座シネパトスで映画を見たことがありますが、時折、地下鉄日比谷線と思われる轟音が響き、それが独特の緊張感を醸し出していたのを覚えています。



商店街の常連客が寄せ書きを書き残していました。


…東京が時と共に変化するのは、東京の性のようなものだけど、再開発と、情が入る隙間を共存させることはできないものか… と思うんですよね。


シネパトスからさらに南へ。

突き当りに見えるのが、旧汐留川。


銀座の真ん中でも、古い建物はひっそりと生き残っています。

三十間堀の説明版

汐留川と外堀は埋められ、領土問題が生まれた



昔の汐留川は、今は首都高とテナントビルです。


橋らしさが残っている所もあります。


首都高の下にあるテナントビルは銀座ナイン。

ところで、
このテナントビルの住所が、ちょっと面白いのです。
それは「東京都中央区銀座8-10先」

「先」って何なのか? というと、要するに、ちゃんとした住所が決まってない。

川を埋め立てて首都高を作り、その間に商業テナントを置くスペースができたのはいいけれど、元々が川だったせいで、住所が無いのです。

だったら作ればいいじゃないか… と思いますが、ここは区の境。 中央区と港区、どちらのものなのか? という、領土問題があるせいで、埋め立てられてから半世紀ほど経ってるにもかかわらず、住所未確定なのです。




土橋交差点。

交差点には橋の名前が残っています。


昔の外堀のあとを、有楽町方向へ歩きます。


この高速道路と建物は、昔の外堀。

ここも、住所未確定。



新幸橋の碑がありました。

住所は未確定でも、昔ここに橋があった事は確定してます。


今でもちょっと特別なイメージの数寄屋橋



そして数寄屋橋に到着。

数寄屋橋のイメージがちょっといいのは、戦後のラジオドラマ「君の名は」の影響が、今もなおある証拠。

放送時は女湯がカラになったという話は、本当なのだろうか?



昔の数寄屋橋の写真が組み込まれていました。


…たしかに川に橋がかかってますねぇ。
こういう展示をしているのは、やはり数寄屋橋が、ちょっと特別な橋な証拠ですね。


近くの公園には「めぐりあいの泉」なる、ドラマをモチーフにしたと思われるスポットもありました。





2回にわけて掲載いたしました「中央区の昔の川(掘割跡)を歩いてみた」いかがでしたでしょうか。


最後に…

これは数寄屋橋からさらに北に行ったところにある、銀座インズ。

ここも昔は外堀でしたが、銀座インズは元々「有楽フードセンター」といい、それは、外堀の埋め立てや首都高の建設とセットで計画された事業でした。 

で、この銀座インズも、住所未確定で…
インズ1は「東京都中央区銀座西3丁目1番地先」
インズ2は「東京都中央区銀座西2丁目2番地先」
インズ3は「東京都中央区銀座西1丁目2番地先」
となっています。 (以上公式サイトより)

この住所の面白い所はもう1つありますね。 「銀座西」などという住所は、地図を見渡しても、見つかりません。これは?

これ、調べてみると、開業当時の住所なんですね。 銀座西という住所が廃止されても、領土問題のせいで、辛くも生き残っているというわけです。



今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!



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