2回の記事に分けます。 今回は、築地川・桜川(八丁堀)周辺です。
流れる川を想像しながらご覧くださいな。
それから、ドラゴンクエストでおなじみの「旅の扉」も見つけましたよ!
昭和の旧河川を書き込みました。
昭和初期(戦前)の銀座・築地の旧河川 |
この地図は、昭和初期(戦前)の銀座築地の掘割を書き込んだものです。 iPhoneアプリの「東京時層地図」を参考に書き込みました。 川の名前はネットで検索しました。 (川の太さまでは厳密ではないのでご了承を)
現在、これらの旧河川は、高速道路や公園、鉄道、あるいは普通のオフィス街となっています。
これらの掘割が埋め立てられた理由はいくつかありますが、何よりも、物流の中心が舟から自動車に変わった事が最大の理由です。
他にも、東京大空襲のがれき処理のためだったり、掘割からの異臭対策のためだったりします。
明治初期の銀座・築地の旧河川 |
昭和初期と微妙に違います。 三十間堀はクランクしてますし、入船川、鉄砲洲といった、明治期に埋め立てられた川も結構ある事が分かります。
築地そば。東支川・南支川付近
こちらは築地の場外と場内の間にある駐車場。
ここは昔、掘割でした。
築地本願寺の東川にあるので東支川という名前がありますが、築地川の一部としての東支川なのか、築地川とは独立して呼ばれていたのか、そこまでは分かりません。
築地から聖路加病院方面へ。(南支川跡です)
この反対方向の写真が↓
両脇にビルが立ち並び、この風景を頭の中で川に置き換えるのは容易でした。
でも、それは、掘割があったと知っていないと、できない事。
橋の欄干が残っている所もあります。
ふむ 備前橋。
あかつき公園付近
あかつき公園は、三味線のバチのような形をしていますが、これも掘割の跡です。
バチのはらの部分は広場になってます。
ちなみに…
「公園にするぐらいなら掘割を残しておくべきだったのでは?」と思う人もいるでしょう。
しかしながら、高度経済成長期の東京は、今よりもずっと工場が多かったですし、水質を綺麗にする技術が(もしかしたら公害を減らす意識すらも)ありませんでして、掘割からは悪臭がただよっていたそうです。
「掘割のまま」というのは、技術が進み、下水の浄化能力が良くなり、川が臭くなくなった現代の発想で… 当時の「輸送は舟ではなくこれからはモータリゼーションの時代だし、臭くてかなわないし、掘割やめよう」という決定は、当然だと私は考えています。
このあたりは明治期、外国人居留地が作られ、特に外国文化の濃い所でした。
日本初の西洋式ホテルも築地でしたし。
…ん?これは?
これは、まさしく、旅の扉!
旅の扉とは、有名RPGドラゴンクエストに登場する、ワープ装置です!
それが、東京都中央区のあかつき公園にあったなんて! 感激です!
この渦の真ん中に入って、いざロマリアに…! なんて。
…すみません取り乱しまして(^_^;)
こちらは、あかつき公園から隅田川方向です。
真ん中にあるポンプ場の場所が、昔、掘割だったのです。
月島の渡し跡の案内板も
築地川新富町駅付近
掘割がそのまま運動場になってます。
…ホントに水をそのまま抜いたみたい。
そして高速道路にも。
こちらは三又の三吉橋
三吉橋の下を流れるのは、水ではなく自動車。
しかし、屋根のサビが、いい味だしてます。
…首都高も今年で50歳だからねぇ。
八丁堀付近
八丁堀の跡にあるのは、桜川公園。
地下鉄日比谷線の駅で有名な八丁堀ですが、具体的には、ここにあったのですね。
案内板も桜川公園にありました。
…それにしても、明治期に八丁堀が桜川と改名されたのは不思議ですよね。 桜川なんて、何の特色も無い瑞祥名を、なぜわざわざ付けたのか? 八丁堀のままではいけなかった理由があったという事ですよね。
…うーん。 分からない。
桜川跡、一部は公園になっていますが、保育所などの別の施設も建っているので、地図を見ても掘割の跡だと分かりにくいです。
「悩み無用」ってか |
しかし、地図をよく見ると、八丁堀跡にあるのは一般のマンションではなく、ポンプ場や保育園、女性センターといった公共施設ばかりであり、周りの区画とは違う事が分かります。
今回は、ここまで。 近日、三十間堀・外堀編をアップします!(追記:アップしました!)
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
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