2013年9月8日日曜日

瑞江で思う。なぜ江戸川区は後回しになったのか?

場所: 日本, 瑞江駅(東京)
田舎者が東京に引っ越してくると、どこも都会だなぁ…と思いますが、どの街も同時に発展したわけではないです。 東京オリンピックの頃、江戸川区瑞江はまだまだ農村。でも世田谷区や杉並区はすでに住宅が密集してます。 何で?



瑞江駅前(この写真だけ2年前です^^;)
都営地下鉄新宿線、瑞江駅、ごく普通の駅前の風景です。

昔から都内に住んでいなければ、東京はどこも同じように発展してきたと思ってしまいますけど、瑞江駅ができたのは1986年。 意外と最近なんですよね。

江戸川区の他のエリアは、東西線の葛西駅は1969年。 総武線の平井駅と小岩駅は1899年。

今の様子だと、なんとなく、江戸川区の中心地は葛西かな…という印象があるのですが(銀座日本橋へのアクセスもいいし)、区の北側から発展していったわけです。

goo古地図で昭和38年(1963年)の航空写真を見ると、当時の発展の様子がわかりやすいです。





そう言われると、駅から5分の所に自動車教習所がある事に、なるほど納得。
戦前や高度経済成長期も瑞江が市街地だったら、こんな贅沢な土地の使い方はできませんよね。


新築の家も、ちらほら、目につきます。


このあたりの家なみは、瑞江駅ができる前からあるような気風。

ネコ発見
東京の発展って、結構ムラがあって、決して、日本橋を中心に同心円状に市街地が広がっていったわけではないんですよね。

西と南への広がりが早かったのです。

戦前、関東大震災の後、急速に発展したのは品川区や目黒区、そして新宿から西。

私鉄各社は、渋谷や新宿、品川から、西へ、南へと、路線を伸ばしました。

先ほどの航空写真で、世田谷区や杉並区、中野区を見ると、建物が密集して街になっている。けど江戸川区の南部は、まだまだ農村です。 銀座日本橋までの距離は、変わらないのに。

なぜ、東は後回しになったのか? 江東区深川は江戸時代からの街なのに、そこから東への発展スピードが、遅すぎないか? と思うわけです。



考えられる理由は2つ。

1つは、横浜の存在。 鉄道会社にとっては、人口が多い街同士をつなげた方が儲かりますよね。 千葉を目指すよりも、横浜を目指した方がいい。 そうやって、鉄道が敷かれ、それに合わせて街も発展した。 という理由。 これは主に南へ街が伸びる動機付けになったのでは。

もう1つの理由は、住環境の安全性。
水害に遭いやすい所と、遭いにくい所。 どっちに住みたいか?という事。 鉄道会社にとっては、どっちを開発したいか? という事。
低地が広がり、水害に遭いやすい、東側は、敬遠されたのでしょう。 北側も同じく。

実際、大水害がきっかけで、荒川放水路(荒川)や中川放水路(新中川)が作られたんですからね。

逆に言えば、これらの放水路を造る事で、はじめて、東と北の低地が開発できるようになった…といっても過言ではないのではないでしょうか。

瑞江の公園の、カスタマイズ可能な迷路


今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!



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