まずは窪地の道を歩くのだ
まずは、番町の凸凹から。
(この地図は{国土地理院 基盤地図情報(数値標高モデル)}{国土地理院 電子国土Webシステム}{カシミール3D}を使用しています) |
番町の区画は格子状ですが、ぴったり東西南北ではありません。 少しだけ反時計回りに回転させたそれは、やはり地形に由来していたのですね。 台地(あるいは窪地)の崖のラインが、道と並行(あるいは垂直)に走っています。
そして、千鳥ヶ淵交差点から南西に伸びる道は、少し蛇行していますが、これは窪地に沿う道だったのですね。
この道から歩いてみました。
ここが、千代田区番町。
硬派なイメージの強い街ですよね。
交差点で首を横に向けると、緩やかな坂が見えます。
なるほど、やはりここは窪地の道なのか。 と、実感。
この窪地の道沿いは、オフィス街ですね。
しかし、新宿や丸の内などと違うのは、10階建て程度か、それより低い、小規模・中規模の雑居ビルが、ひしめいている。 という事です。
番町らしい…真面目で古風なオシャレを心掛けているような喫茶店が見えます。
きっと、周りのベテラン社員の行きつけだったり… 社長のテリトリーだからおいそれとは入れない…といったシチュエーションも連想できますね。
とはいえ、働く場所ばかりが目につきます。 昼ご飯を食べたり、夜に酒を飲んだりする場所が少なくないか…?
番町で働くビジネスマンとOLは、コンビニで昼飯を買うのが一般的なんですかね。 それか、弁当自炊か。
弁当を自分で作り、酒は飲まずに帰宅… 硬派な番町に、真面目な人多し。 そんな社会を想像してしまいました。
番町とおなじような、小規模・中規模の雑居ビルがひしめいている地域としては、神田もそうなのですが、神田は飲み食いする所、いっぱいありますよね。
番町には住宅もあるかな…と思い、番町らしい住宅街の風景も捉えられないか…と期待していましたが、こんなのしか撮れませんでした。 …番町らしいか? これ?
階段の途中には、貸し部屋がありますね。 芸術家が個展を開くのにぴったりな規模の。そして、そのまんまのネーミングの。
住宅街でもオフィス街でもない…こんな空気の街、初めて
窪地の道を抜けて、格子状のエリアに入りました。
低中層の賃貸マンションと、オフィスが、多め。
あとは、学校だったり、ナントカ会館だったり、そういう施設も目立ちます。
住宅街…とも違うし、かといって、オフィス街…とも言い難い、この風景。 なんだろう。
再開発で誕生したオフィス街で感じる、あの、非生物的で権威的な冷たさ、ギラギラとした威光は、感じないのですが、かといって、温もりがあるわけではないし…
再開発オフィス街が、活動的でモノを言う外資系のCEOだとすると、番町は、じっと座って腕を組み無言で指示を出す日本古来の社長のような感じでしょうか。 (我ながら分かりにくい表現だ…)
とにかく、今まで都内をいろいろ歩いてきましたけど、番町は他の街では感じた事のない空気を感じました。 やはり、番町というブランドが、この空気感を作り出したのでしょうか。
硬い気風の番町において、坂が放つ、ありのままの地の姿。隠し切れない生物性は、貴重な財産でありましょう。
六番町には、街づくり憲章が
六番町奇数番地街づくり憲章 |
「六番町奇数番地街づくり憲章」を発見。
街づくり憲章とは、地域で決める、街づくりと生活の決まり事。または、心掛けるべき事。
街づくり憲章は、鉄道会社や不動産会社が開発した住宅街に多く見られるものですが、普通の住宅地では初めて発見した気がします。
六番町 |
街づくり憲章には「私たちはこの街を業務ビル街ではなく、多くの人が住む町として認識し…」とありますから、憲章の旗振り役である方々も、それは分かっている様子。
だからこそ、街づくり憲章を作り、住宅街を目指そうとしているわけですね。
「いろいろなものが渾然一体となっている業務ビル街よりも、住宅街のほうが統一感があって美しい」
「昔はもっと一戸建て住宅があったのに、その頃の風景が懐かしい」
「番町のブランドを活かして、高級住宅街を目指したい」
「まずは、高級住宅街のように、街づくり憲章を作ろうではないか!」
といった方向性でしょうか。
また…
憲章が作られた年が平成6年という事と、「土地は投機の対象とはせず、生活の基盤と考えましょう」の一文が、街の変化を物語っている気がしてなりません。
あぁ、街が業務ビル街に近づいたのは、バブル景気の頃なのか。 と。 そして、投機で痛い思いをした人もいて…
男性の裸の像って、なかなかない |
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
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