区画好きとしては、ハズせません! 行ってみました! 前回、早宮史跡公園を紹介しましたが、そもそも氷川台に来た理由は、この区画を実際の目で見て見たかったからなのです!
造成されたのは戦時中。発展したのは80年代以降。
というわけで、やってきました。 東京メトロ有楽町線と副都心線の氷川台駅。
練馬区の氷川台と平和台は、何とも特徴的な区画になっているのです。
区画がクモの巣のような形になっているが、分かりますでしょうか?
この地図は{今昔マップ on the web(c)谷 謙二}{国土地理院 電子国土Webシステム}{カシミール3D}を使用しています。 この地図画像の元である地図は、国土地理院の地形図[2万5000分の1 赤羽 昭和20年部修 昭和22年7月30日発行]および[2万5000分の1 東京西部 昭和20年部修 昭和22年7月30日発行]です。 |
戦後まもなくの地図ですが、すでにこの区画はできています。
これは今昔マップの地図ですが、goo古地図の航空写真のほうが分かりやすいです。
(http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E139.40.10.064N35.45.11.042&ZM=10)
この区画は、練馬区史によると、昭和14年から20年にかけて、浅見久左衛門ほか15名により整備されたそうです。 …思いっきり戦時中ですね。
この区画整理はなかなか大変だったそうで(大変ではない区画整理って無いと思うけど)、不足費用捻出のために幅15mに造成した道路の両側を1mずつ削り、付近の地主に買い取ってもらった。というエピソードもありました。
しかしながら、クモの巣のような区画にした理由までは、分かりませんでした…m(-_-)m 残念。
ところで、戦時中に造成された区画ですが、建物が立ち並ぶまでに、かなりの年月がかかりました。
1980年代の航空写真を見ると、まだまだ緑色の農地が目立っています。
(http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/index.html?lat=35.756999&lon=139.66298&z=17&did=std&lkey1=yk88&lopa1=1)
氷川台と平和台に有楽町線が通ったのは1983年ですから、やはり鉄道が街の発展を促したと考えていいと思います。 (土支田や大泉学園町が大江戸線沿線を望むのも当然なわけです)
では、実際の氷川台と平和台の風景です。
…とはいえ、特徴的な風景は、そんなに無いのですが(^_^;)
「この道は、あと2メートル広い予定だったんだよなぁ」と想像しながら歩くぐらいしか。
氷川台4丁目にある、この下町のような路地は、「ひばり住宅」という住宅団地だった所。
このような局所的な住宅団地は、平和台2丁目にも造られたようで、どうやら、氷川台と平和台は、区画は特徴的でも、一貫性のある開発はされなかったようです。
そうでなければ、住宅団地が一部分だけあって、さらにそこに、ひばり住宅という特別な名前は付かなかったはず。 最初から「氷川台住宅」で統一されていたはずです。
区画が特徴的だと、どうしてもカーブを撮影したくなります。
現代的な集合住宅も見受けられます。
80年代にまだ農地だった所も、ほぼ開発されたようです。
メインストリートに大きな花屋がありました。
広々とした土地の使い方にも、農地が多かった頃の名残を感じます。
陸上自衛隊練馬駐屯地 |
イメージを打ち消すために正反対の名前を付けるのは、よくある事です。
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
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