基本的には下町っぽい風景ですが、東中野5丁目、旧小滝町は、知られざる高級住宅街かもしれません。 昔は花の公園だったそうな。
東口周辺とムーンロード
東中野駅東口 |
東中野は、新宿駅からたった2駅。 田舎のおじいちゃんも知ってる日本を代表する大都市新宿から、たった2駅ですよ。
それなのに、なんと昭和的な駅舎なのでしょう…
この掲示板の造りといい、消火器といい、鉄網フェンスといい、駅舎の骨組みといい…
東京は、都心から少し離れただけでも、田舎っぽい所が残っているもんです。
駅北 | 駅南 |
自然体で過ごせそうな街です。
…そして、駅北に堂々と鎮座する、飲み屋街。
その名も、ムーンロード。
この看板は、中央・総武線の車窓からも見えるので、御存じの方は多いのではないでしょうか。
東中野 ムーンロード |
かくゆう私も、この看板を見て、東中野を散策してみたいと思ったわけです。
…結構なレトロスポットなんじゃないかと思って。
でも、本当は、飲み屋街という所は、夜に訪れて、店に入って、一杯ひっかけないと、訪れた事にはならないですよね。
…とはいえ、私、下戸ですし… そこのところは、ごめんなさい。
ちょっと面白かったのは、私道である事を、やたらと主張している点。
小滝の丘には、セレブ感あります
東中野 立体地図 (この地図は{国土地理院 基盤地図情報(数値標高モデル)}{国土地理院 電子国土Webシステム}{カシミール3D}を使用しています) |
東中野5丁目は、ちょっとした丘になっています。
この一角の可愛らしい感じ、なんだか、自由ヶ丘や大岡山っぽくないですか?
ほら、町会の掲示板も、洒落てるし。
心なしか、住宅の敷地面積も広めに思えます。
この地図は{今昔マップ on the web(c)谷 謙二}{国土地理院 電子国土Webシステム}{カシミール3D}を使用しています。 この地図画像の元である地図は、国土地理院の地形図[2万0000分の1 中野 明治42年測図 大正2年製版]です。 |
試しに検索してみたところ、
華洲園とは、花きの栽培出荷を行うと同時に、花を楽しむことができる庭園でもあり、花の香りにつつまれながら、咲き誇る花々と、その先に広がる眺望を楽しめる施設だったそう。
しかし大正期には花の栽培をやめ、住宅地として分譲され、いろいろな著名人が住むようになったそうです。
また、宅地として分譲後も、戦前のうちは華洲園と呼ばれ続けましたが、戦後になると、地域の名称を取り「小滝台」と呼ばれるようになったそうです。
(参考資料 東中野今昔ものがたり)
http://higanaka.sakura.ne.jp/konjak.html
…なるほど! ここだけ、街の成り立ちが違うのですね。 そして、セレブタウンであることも、間違ってはなさそうです。
とはいえ、完全なセレブタウンかといわれると、お世辞にも綺麗とは言えないような階段があったり… (でも、この退廃的な雰囲気、すごく好き!)
龍山稲荷神社 |
表札が割れています。
でも、基本的には下町っぽいよね
小滝台以外の、東中野周辺の風景です。
駅の北部も南部も含みます。
東中野が市街地化したのは戦前です。
この細い道幅は、戦前の急激な人口流入に区画整理が追い付かなかった結果でありましょう。
俗に言う「スプロール現象」ですね。
東中野駅は1906年(明治39年)に誕生。 鉄道駅により、この界隈が、膨れ上がる東京の受け皿となったのは言うまでもありません。
左への道があるが…(右の写真へ) | …えっ、ここ、公道? |
とはいえ、地理的には、武蔵野台地の上なので、下町とは言えないんですよね。
しかしながら、下町という言葉は、地理的な事実よりも、形容詞として使われる昨今。
つまり、下町とは、下町らしい町の事を下町という。 とも言えるので… 東中野も下町といえそうです。
下町とも言えそうですが、同時に、東京的な風景もあります。
私は「戸建て住宅と同時に、3~4階建てのアパートがひしめき、遠くに高層ビルが見える」という風景が、非常に東京的だと思うのです。
上の写真は、高層ビルこそ見えませんが、戸建てとアパートの密集具合が、非常に、東京らしいな、と。 思うのですよ。
氷川神社 |
東中野は、下町らしい、こまごまとした所だけではなく… 東中野5丁目付近や、氷川神社といった、ゆったりしたところもある。 という事ですね。
東中野駅西口 |
そして、東中野駅だって、冒頭で載せた東口は昭和感があふれていますが、西口は平成です。 物事は多面的だなぁ… と悟った所で、締めたいと思います。
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
0 件のコメント:
コメントを投稿