町境にあるくねくね道は、かつての海岸線の跡。 そこには、昔の堤防が残され、将監の鼻の碑もありました。
あと、最後のオマケは、西葛西駅前の像。 かつて一世を風靡したピン芸人を連想させます。
ちなみに今回の記事も蔵出しです。 …だって夏は暑いんだもん(>Д< ;) 東京の夏は灼熱地獄といっても過言ではありません。 なので写真は今年の春です。 でも、ま、3か月なら、許容範囲ですよね。(自己弁護)
埋め立ててできた清新町と臨海町
西葛西駅 |
昭和47年(1972年)から開始された葛西沖開発事業により誕生した街で…
清新町は居住エリア。 臨海町は物流エリアであります。
街中には、ゆったりとした水辺も。
あえてすべてを埋め立てず、水辺を残したわけですね。
ゆっくりサンドイッチなどを食べながらここで過ごす休日…
素敵そうじゃないですか!?
清新町は団地の街
事業地の北側には団地が造られ、清新町と名付けられました。
(清新町って、いかにもな瑞生地名ですよねぇ)
(書くことが無い!)
臨海町は物流の街
臨海町には物流センターや倉庫が立ち並んでおり、メインストリートでは大型トラックが忙しそうに先を急いでいます。
…ま、物流センターの写真は、2枚だけで、いっか(^_^;)
将監の鼻の碑を探せ!
この道は、やたらとくねくねしてます。 しかも町境です。 この道の正体は?
この地図は{今昔マップ on the web(c)谷 謙二}{国土地理院 電子国土Webシステム}{カシミール3D}を使用しています。 この地図画像の元である地図は、国土地理院の地形図[2万5000分の1 東京南部 昭和41年改測 昭和42.10.10発行]および[2万5000分の1 浦安 昭和41年改測 昭和42.10.10発行]です。 |
これは昭和41年(1966年)の地図です。 その10年後には、現在の清新町と臨海町にあたる陸地が生まれています。 (今昔マップで確認できます)
道路脇の造りは、堤防っぽいですよね。
江戸川区 旧海岸堤防 |
…と思ったら、なんと、昔の堤防が、部分的に残されているじゃないですか!
「旧海岸堤防」と、しっかり書かれています。
昔はこの道路に沿って、この堤防が造られていて、さらに、その先は海だったんですねぇ。
堤防の先に広がる海が想像できます。
さらに、あの白い大きな石が怪しい!
きっと、地域の歴史を伝える碑文や案内板があります!
…と思って、ぐるっと回ってきましたが、めっちゃ遠かったです(>Д< ;) 途中に横断歩道など、全然ないんですもん。
将監の鼻 |
将監の鼻。 初めて知りました。
堤防が造られたのは、戦後数年の間に襲来したカスリーン台風とキティ―台風のせい。 堤防ができる前は潮干狩りや海水浴が楽しめる場所で…
堤防の建設は昭和26年(1951年)に始まり、完成したのは昭和32年(1957年)。
Wikipediaによると葛西沖開発事業の埋め立て開始は1972年との事なので、この堤防が活躍したのは約20年という事になりますね。 …長いとみるか、短いとみるか。
西葛西駅前に某ハードゲイっぽい像が
オマケです。
フォー! |
…このポーズは! 2000年代のお笑いブームの頃に一世を風靡した、某ハードゲイの方のポーズじゃないですか!? なつかしい!
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
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